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「まとまった内容」を伝えたいとき

あんたジャージでどこ行くの: プレゼンテーションに関する大嘘を読んで。
こちら↑はピラミッド原則!図にすると、上手く話せるに関する記事です。

この記事を読んで、プレゼンテーションに限らず、「あるまとまった内容」を伝えたいとき共通の問題だなぁと思いました。
そこで。
記事を読んで考えたことは三つ。
ピラミッド原則!図にすると、上手く話せるという記事が言いたいことは、「言いたいことを図にまとめれば、プレゼンテーションがうまくなる」ではないのでは?
・「図に描けばいいよ!」は私もウソだと思う
・プレゼンテーションが苦手な人は伝える内容を理解してないのでは?

以下、長くなりますので続きの方に書きます。





ピラミッド原則!図にすると、上手く話せるという記事が言いたいこと

まぁ、瑣末な話ですけど。

つまりは、「言いたいことを図にまとめれば、プレゼンテーションがうまくなる」という言い分でありまして、
あんたジャージでどこ行くの: プレゼンテーションに関する大嘘

これ、逆じゃないかと思うのです。この記事で勧めているのは図にまとめることではないでしょう。
「図にまとめれば」というよりは、図にまとめるイメージで言いたいことを整理すると(またはこの図に沿って考えを深めたりまとめたり=構造化していくと)筋の通った話をするのに役に立ちますよ、考えたことを階層(構造化)して整理しなさい、整理する枠(イメージ)がこのピラミッドの図ですよ、ということだと思います。
中段に

上記記事のように枠を与えればいくらかはましになるかも知れないが、
あんたジャージでどこ行くの: プレゼンテーションに関する大嘘

とありますが、まさに、「いくらかはまし」にするための枠なんだと思います。この枠で救われる人、いると思いますよ。


■「図に描けばいいよ!」は私もウソだと思う

私が言いたいのは、図は万能ではないよ!ということです。
図は簡潔にポイントを示して視覚に訴えるもので、図のわかりやすさは情報が圧縮されていることによるものです。
圧縮といえば聞こえがいいのですが、実際には情報の省略でもあります。図を作る際に、情報の取捨選択を誤れば、図は単なる謎めいた図形の塊になってしまいます。また、図だけでは情報が少ないので、大まかなところは伝わっても細部は伝わりません。でも仕事においては、その細部が大切なときが往々にしてあるもので、注意が必要です。ちゃんと補足説明ができるように、十分準備をしなければいけません。図は作りっぱなしではいけないのです。

効果的な図を作るためには、その情報を把握、理解する必要がある。つまり、図を書ける人なら、ちゃんと説明もできる。そういう意味では「図に描けばいいよ!」なんて、描ける人のセリフだし、わかってない人の図ほど恐ろしいものはないと思います。(同じ意見ってことか)


■プレゼンテーションが苦手な人は伝える内容を理解してないのでは?

どこの会社にもいると思うのです、仕事は出来るんだけど、何を言ってるのかさっぱり分からない人。何かを説明させると、延々しゃべるんだけど、最終的に何が言いたいのか全く伝わらない人。レポート書かせると長大な作品を提出するんだけど、五行読んだらもう読む気がしなくなるような人。
(略)
 ああいう人に足りないのは、「人に伝えるための技術」じゃないんですよ、「人に伝えようとする意志」が無いのね。そういう気持ちのない人って実はいますよ、結構。とにかく自分の言いたいことは言う、相手に伝わってなくてもお構いなし、そういう人。真に問題になるのはこういう人たちだと僕は思う。
あんたジャージでどこ行くの: プレゼンテーションに関する大嘘



「人に伝えようとする意志」とは何か。

予備校で書かせた小論文を読んでいると、この「人に伝えようとする意志」があるのかと、疑いたくなることがしばしばあります。たぶん、書いている本人もわかりにくいことは理解しているんじゃないかと思います。でもそこで一手間かけない。そこには「わかってよ」「おねがい」という気持ちがあるんじゃないかと。

おしゃべりしているときはそれでいいと思うのです。「わかってよ」「わかったわかった」。多少のことなら、気持ちを汲む。さすがにわからないと思ったら、そのタイミングで確認できる。
でも、小論文とかプレゼンテーションでは、伝える側と受ける側がはっきり分かれていて、まず聞け(読め)という状態になるのだから、お互い気持ちを汲んでというわけにはいかない。ブログも同じ。書いて保存ボタンを押した段階で、一旦リリース。ブログやプレゼンテーションでは、リリース後の質疑応答があるけれど、それだってある程度伝わっていないと成り立たない。

なんてことを考えたときに、「人に伝えようとする意志」は「人に伝えるための手間を惜しまない気持ち」と言い換えることができるんじゃないかと思った。
私自身そうですけど、日常的に物事を筋道立てて考えているわけではありません。考えるというより、もっとぼんやり思ってるだけのことが多い。でも、ぼんやり思っていることをそのまま字にする、ないし、次々に思いついたことをそのままの順番で示すというのは、伝わりにくい。背景や思考回路が似ている人ならわかってくれるかもしれないけれど、どうにも理解されにくい。
あるまとまった内容を伝えたいと思うのなら、まず、自分は何を言いたいのかを整理する。伝えるために、パーツに分けたり、順番を入れ替えたりといった工夫をする。図で示すのも工夫の一つ。その一手間が、たくさんの人に伝わることに、つまり「わかりやすさ」につながるんだと思います。そして、その一手間を惜しまない気持ちがないとはじまらない。LSTYさんのおっしゃってたことはそういうことなのかな?と思いました。


余談:わからないということを伝えたいとき

ここまで、あるまとまった内容を伝えるときについてつらつら考えてきたのだけれど。
逆に「わからない」とかそういう、もやもやとした気持ちを伝えたいときは、整理しない方が効果的なのかな?と思った。わからないままに、もやもやしたままに、矛盾があってもそのまま書く。
画面上に活字、しかもブログだとテンプレート上の枠の中にきちんとおさまっているという、妙に整頓された形で見る「わからなさ」とかもやもや感って、どうにも伝わりにくいところがある気がする。でも、書くときに、あえて整理せずそのまま書くことで少しは現実味のあるものになるんじゃないかな?
ぼんやりしているときも同じ。ぼんやりしてるってことを伝えたかったら、その内容をどう伝えるかを一生懸命考えたり工夫したりするより、ぼんやり書いた方が「ぼんやり」感が出るんじゃないかな。

要は、日記を書くときにはあんまり考えなくていいと思うってことで。随分当たり前なことになりました。

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