スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

EntryTop

ブログを書くということ

今日の日経のコラム(春秋)で「ブログ」が取り上げられていた。
このコラムの筆者の場合、
ブロガーは自称評論家・タレントというイメージらしい。
(略)
▼有名になりたいのか。自分に酔っているのか。書き込みに精を出す四十代の男性に聞くと答えは意外だった。「誰も読んでくれなくていい」。何者かが自分を見ているという状態をつくり出す。そこで体験や思いを言葉にすれば自らを律することができ、仕事や生活に励みも生まれるという。
▼同じ構図をエルサレムの「嘆きの壁」で見たことがある。ユダヤ教徒は体を揺すりながら壁の「向こう側」に延々と語りかけていた。宗教の違いはあっても、自己と、自己を見守る超越者を言語でつなぐ行為が「祈り」だろう。(略)
なぜブログを書くのか?
ブログを書くということはどういうことか?
というテーマは、いろいろなブログで話題になるのだけれど、
ブログを書かない人が見出すブログの意味というのはちょっと新鮮。




これを読んでいて、
私は「誰も読んでくれなくていい」とは思わないなぁ
と思った。
読んでくれなくてもいいけど読まれる前提で、
なんて前提の意味を感じない。リアリティがない。

私がブログを書く一番の意味は「忘れる」ためだと考えている。
日々たくさんの情報にまみれる中で
これから先も思い出したい(=情報の再利用)と思ったら
普通は記憶するしかない。
でも、記録しておけば記憶する必要がなくなる。
記録することによって、
容赦なく「忘れる」ことができるようになって、
軽くなった頭はその分、何かに使えるようになる。
そんなイメージで、日々ブログにこまこまとしたことを綴っている。
実際、自分のブログを検索して便利に感じることがしばしばある。

つまり、自分のためにブログを書いているのだけれど、
「人に読まれる」ということを常に意識している。
そうすることで緊張感が生まれる。
何となく思った、というのではなくて、
思ったことをもう少し明確にして、脳から出力することになる。
この作業は、思い出すときにも便利なので一石二鳥だ。

で、今回の「祈り」という見方について考えると、
とても面白い見方だと思った。
そういう側面はあると思う。
読んでくれる人、未来の自分…
ちょっと不透明な存在にひたすら語りかけるというのは
不思議な行為だと、改めて思う。

EntryTop

コメント

誰も読んでくれなくてもいい、なんて、随分珍しい人にインタビューしちゃったって感じですね(苦笑)。
そんな人、絶対少数派だと思いますけど…。

私も同じテーマでエントリあげをした事があって、その時いろいろと書いたんですけど、要は自分のためになるからこんなめんどくさい作業を続けている気がします。
人間関係も視野も広げる事ができ、得られる情報量も多くなり、しかも単純にコミュニケートが取れる事が楽しかったりするので、続けられる感じかな。

得られるもの全てに他者が関わってきているので、私は見てくれる人の存在なしにはblogは続けられませんねぇ。

>もそさん

ね、誰も読んでくれなくていい、なんて少数派だと思うんですよねぇ。
(か、意地っ張り?)
人間関係・視野が広がるよう心がけること自体、精神にいい行為だと思ってます。
「祈り」と似た面はあるんだけど、
この記者さんのいうのとは違う面だなぁと思いました。

読者というのはとても大切な存在だと、毎月総括をするたびに思っています。

コメントする

(パスワードを入力すると後で編集可能になります)
←内緒話

トラックバックURL

■トラックバックに関するお願い■
・トラックバックの際は記事の中にこの記事へのリンクをお願いします。
・リンクがないトラックバックは受け付けない設定にしています。



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。