「BORN TO RUN」 さよなら初代0系新幹線 引退記念スペシャルバージョン
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12月6日(土) 昼公演
あうるすぽっと
ギンギラ太陽's
この時期はちょっと観れないんじゃないかと思っていたのですが、ローソンチケットのモニター募集に応募したら当たったので、ありがたく観にいきました。
着いたら西鉄バスの皆さんがお出迎え。
「今度結婚するんです」というカップルがいて、西鉄バス大集合で写真を撮っていたのがうらやましかった。みんなに「おめでとう!」って拍手されてて、なんかいかにもギンギラさんって感じの暖かさ。
旦那さんと二人で行ったのだけれど、西鉄バスの集団に圧倒されて、はじめ劇場内に入るのを躊躇してたっぽい。でもその後はばっちり携帯カメラで撮影して楽しんでた。
途中で「女ビルの一生」(中州・玉屋さんの話)がはさまっていて、展開としては全然関係ないから微妙と思いつつ、お得感はありました。
0系にしても、YS-11にしても、技術が進歩していく中で古くなったものが使われなくなっていく。それをベースにして、新しいものが作られて・・・の繰り返し。ごく当たり前に起こっていることなんだけど、ちょっと劇的でもある。ギンギラさんによって「いい話」になっているのか、もともといい話なのか。
技術の進歩とかと関係なく、あなたがあって私があるというのは、どこにでもあることのように感じます(今になってみると)。とにかくいい話でした。
旦那さんも何だか満足していた様子。
ギンギラさんって、お芝居らしいし、あったかいし、見終わった後の満足度が高い。
開演前に前の席の人が読んでいるパンフレットが見えて、字がいっぱいあって読み応えがありそうだったので、終演後に買いました(めったにパンフは買わない)。エントリ冒頭の写真はパンフの表紙です。
同じページを繰り返し繰り返し読んでしまっているので、まだ最後まで読んでないのですが(一通り拾い読みはした)。
圧巻なのは、初代0系新幹線最初の運転手、大石和太郎さんのインタビュー記事です。エピソードを少し拾い書きしておきます。
-新幹線開業の年にはNHK紅白歌合戦の審査員として出演した。
-試運転から参加し、開業時の一番列車も運転。
-最初の頃はお客さんが乗らず、運転手が制服制帽姿で新宿、渋谷などに宣伝に行った。
-大阪万博にピーク。1時間に1本、12両編成だったひかりを16両編成にし、最終的には1時間に6本に。
-開業初日は新大阪、京都、名古屋と花束贈呈があり、運転台が花でいっぱいになった。
-開業の1週間前から全く同じダイヤで試運転。東京・大阪間を全線70キロ走行。沿線のビルや道路から手を振られたり声をかけられたり。
そんな大石さんは今、「国鉄時代にとった飛行機操縦の免許を生かして」フライトシュミレーター訓練や機器販売などの会社を運営しているとのこと。飛行機!!
このお芝居の中で最も印象に残ったのは、新幹線の歌。
【参考】こちら↓のサイトで聞けます。(いきなり音が出ます、注意!)
はしれ超特急
今でも「ビュワーンビュワーン」と頭の中に鳴っています(そして家で歌ってる)。
この曲の中に「時速250キロ」って出てきて、お芝居中なのに、私の頭の中には「?」がいっぱいに広がりました。
子どもの頃に読んだ絵本に確かに、夢の超特急が出ていました。でも私の記憶では時速210キロ。新幹線0系電車 - Wikipediaで確認したところ、
当初、最高速度は210km/hだったが、1986年に 220km/hに引き上げられた。ただし、運転上の最高速度は当初200km/hで、210km/hはATCが作動してブレーキがかかる頭打ち速度。 1986年に引き上げられた220km/hは、運転上の最高速度のため、210km/hと比較するなら新しい頭打ち速度の225km/hが正しい。
とあって、私の記憶は正しかったようです。
乗り物の絵本が大好きで、夢の超特急・新幹線とパノラマカー・ロマンスカーが載っていたことは今でも覚えています。
私は大人になるまで東海道新幹線にはほとんど乗ったことがなくて。でも一度小さい頃に乗った記憶がある。たぶん、81年のポートピアのときだと思います。食堂車があった、気がする。それとも絵本に食堂車が載っていたんだろうか。そんなちょっとした記憶も掘り起こされるお芝居でした。
見にいけてよかった!!
帰りに宮城県のアンテナショップで、萩の調(萩の月のチョコクリームバージョン)や牛タンや牡蠣を買って帰りました。



